Русские видео

Сейчас в тренде

Иностранные видео


Скачать с ютуб 【終戦から77年】シベリア抑留…96歳元兵士 遺骨収集にウクライナ侵攻の影 в хорошем качестве

【終戦から77年】シベリア抑留…96歳元兵士 遺骨収集にウクライナ侵攻の影 1 год назад


Если кнопки скачивания не загрузились НАЖМИТЕ ЗДЕСЬ или обновите страницу
Если возникают проблемы со скачиванием, пожалуйста напишите в поддержку по адресу внизу страницы.
Спасибо за использование сервиса savevideohd.ru



【終戦から77年】シベリア抑留…96歳元兵士 遺骨収集にウクライナ侵攻の影

終戦からきょう15日で77年となりました。当時、旧ソ連の捕虜となった多くの日本兵がシベリアに連行され、厳しい強制労働の中、命を落としました。長年、遺骨の収集や死の真相をたどる調査が続いてきましたが、その活動にいま、ウクライナ侵攻が暗い影を落としています。    ◇◇◇ 北海道・利尻島。良質なコンブとウニがとれるこの島に、壮絶な体験をした男性がいます。 吉田欽哉さん(96)。現役の漁師です。 戦時中、19歳で出征し、南樺太(現在のサハリン)に配属されました。終戦後、引き揚げ船に乗ったはずが、思いもよらない悲劇が起こります。 吉田欽哉さん 「船が向こう(逆方向)に行くんだもの。まさかシベリア連れて行かれるとは思わない」 対日参戦を表明したソ連は、1945年8月9日、南樺太などに侵攻しました。約57万5000人の日本人が捕虜としてシベリアに強制連行されたのです。冬はマイナス30℃にもなる厳しい環境で、鉄道の建設や伐採などの強制労働を強いられました。 これが「シベリア抑留」です。 吉田欽哉さん 「食べる物ない。何もない。腹減って腹減ったら、ああいうことになるんでしょうね。石が、おはぎに見えるんです」 平和祈念展示資料館には、抑留者たちが暮らした収容所の様子を再現した展示があります。衛生環境も悪く、約5万5000人が命を落としたといわれています。 亡くなった人の埋葬も、抑留者の手によって行われました。 吉田欽哉さん 「ロープ持っていって、せいのこい、せいのこいって引っ張って、重いんですよ。それに腐ってにおいして、最初すごかったんです」 吉田さんは、約4年間の抑留生活を生き延び帰国しました。しかし、忘れることができないのは、命を落とした仲間との約束です。 吉田欽哉さん 「手でかけて埋めてきたんだから。迎えに来るからなって。それが頭から離れないんです」 3年前、その約束を果たすため、吉田さんは厚生労働省の調査班と共にシベリアを訪れました。 吉田さんは「日本に帰るぞー」と叫び、抑留日本人の墓標をなでながら「寒かったな…」と涙を流しました。 仲間の遺骨を見つけるため、ツンドラの大地を手作業で掘っていきます。この時、人骨のようなものが見つかったといいますが、仲間の遺骨とは認められませんでした。 吉田欽哉さん 「墓地だなって思った所から、この石がひとつ出てきたもんだから」 遺骨の代わりに、小さな石をシベリアから持ち帰りました。吉田さんは「次こそは遺骨を持ち帰る」と胸に誓いました。 しかし―― 新型コロナウイルスに加え、今年2月に始まったウクライナ侵攻により、ロシアへの渡航が禁止され、遺骨の収集ができない状況が続いています。 吉田欽哉さん 「自分の生涯あと何年あるの。10年ありますか」 「もう1回行って(遺骨を)持ってくるのが、これからの生きがいなんだから」 吉田さんは憤りを感じています。    ◇◇◇ 厚労省は、遺骨収集の他にも抑留者の調査を行ってきました。 今年、ようやく父親の死の詳細を知ることになった男性がいます。 有賀勇次さん(79) 「これが、今回送っていただきました資料でございます」 横浜市に住む有賀勇次さんが見せてくれたのは、6月に厚労省から送られてきた資料です。 有賀勇次さん 「上が死亡診断書で、下が埋葬証書」 それは、シベリア抑留者となり、現地で亡くなった父・三津三さんの当時の記録でした。 ――どの情報が初めてわかった? 有賀勇次さん 「全部。発疹チフスに起因する肺炎で、脳溢血(のういっけつ)なんていうのもですね」 資料には、三津三さんが1945年9月20日、当時の満州・奉天で捕虜になり、12月5日にシベリアに到着。その翌年の3月3日に亡くなり、イルクーツク州のマルタ駅付近に埋葬されたと記録されていました。 有賀勇次さん 「死亡した日にちがはっきりしたのと、埋葬されている場所がはっきりしたということで、あの当時の戦争のどさくさに紛れて、本当に埋葬してくれたかどうかもわからなかったですけど、そういう情報がいただけたことは、ありがたかったと思っています」    ◇◇◇ 最期が確認された抑留者は、これまでに約3万9000人。依然、1万人以上が不明のままで、記録を待つ家族に届いていません。しかし、ウクライナ侵攻が始まり、資料提供の費用をロシア側に支払うことができなくなり、調査は中断しました。 厚労省 社会・援護局 援護・業務課調査資料室 手嶋和子室長補佐「日本が経済制裁を発令したというところで影響を受けた。(資料提供に対する費用の)支払いが、いまできないために、次の資料の入手に結びついていない」 戦後77年。シベリア抑留者の記録をたどる作業は、いまだ終わりが見えません。 (2022年8月15日放送) #終戦の日 #シベリア抑留 #日テレ #ニュース ◇日本テレビ報道局のSNS Facebook   / ntvnews24   Instagram https://www.instagram.com/ntv_news24/... TikTok   / ntv.news   Twitter   / news24ntv   ◇【最新ニュースLIVE配信中】日テレNEWS HP https://news.ntv.co.jp

Comments