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萩と会津 戊辰戦争での敵対乗り越え未来志向の関係へ・・・市民グループが交流 1 год назад


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萩と会津 戊辰戦争での敵対乗り越え未来志向の関係へ・・・市民グループが交流

福島県から、ある旅行グループが歴史の町・山口県萩市を訪れました。目的はただの観光ではありません。訪れた場所のひとつがここ市中心部にある、小さなお堂です。一行の旅の目的とは? 白虎隊の歴史・・・小さなお堂を訪ねて ときおり雪が舞う、寒い朝。萩市の路地にある小さなお堂、「唐樋地蔵堂」を18人のグループが訪ねました。丁寧に手を合わせる先は、中に飾られている額。描かれているのは、会津藩「白虎隊」の最期の姿です。一行は福島県西部・会津地方出身者たちです。訪問を知り、萩市の田中市長も駆けつけました。田中文夫・萩市長 「大変お寒い中を、この萩市にお越しを頂きました。心から歓迎申し上げます」明治維新目前の戊辰戦争で命を散らした白虎隊の悲劇は、会津の人の心に深く刻まれています。同時に、当時の敵方である長州藩、特に萩市には強いわだかまりがあるといわれます。 民謡が伝える両藩の歴史 前の晩、一行が鑑賞したのは萩の民謡「男なら」。 「男なら」「ついて行きたや 下関」という歌詞があります。ぜひにと場を設けたのは「長州と会津の友好を考える会」代表で、医師の山本貞壽さんです。長州と会津の友好を考える会・山本貞壽代表(83) 「あそこ、瀬戸内海で長州藩は幕末4か国と戦争やったんですよ、まともに。それでとてもじょういにはならんちゅうことが分かった」幕末の萩では武家の妻や奥女中も国を思い、働いた・・・そんな歌から長州のことをもっと知ってもらいたいと考えたのです。一方、会津からも白虎隊を歌った民謡が披露されました。「炎の中に鶴ヶ城」燃える城下を見て「もはやこれまで」と自決した少年たちの悲しい最期を歌っています。会津歴史観光ガイド協会・石田明夫理事長 「戊辰戦争のことについては、和解はしません。和解はしませんけども、仲良くはできるんじゃないかなと思ってますんで、交流はこれからも深めていきたいと」 交流きっかけに関係に変化を 会津と萩の交流。これこそが旅の目的です。毎年9月に会津若松市で開催される一大イベント「会津まつり」は、はなやかな歴史絵巻ですが、戊辰戦争で亡くなった人々を弔う意味があります。戊辰戦争では薩摩と長州を中心とする新政府軍が城下に攻め込みました。街のシンボル、鶴ヶ城。1か月にわたる籠城戦には女性も加わり、多くの犠牲者が出ました。戦いのあとも埋葬されない遺体が横たわり、無残な状況だったと伝えられています。この出来事がいまも影を落としています。 会津の悲劇伝える場所、萩で守り継ぐ 「唐樋地蔵堂」は、町内会が毎朝そうじをし、大切にされています。白虎隊の絵が飾られている経緯ははっきりとしませんが、明治時代には奉納されていたとしています。会津の悲劇をしのぶ場所が、かつての敵地・萩で受け継がれていました。参加者「ああすごいもんだな、やっぱり歴史なんだなと思いますね。これを見て、びっくりしましたね」今回のツアーを企画したのは会津若松市在住で、歴史に関する本を書いている滝沢洋之さんです。 今も残るわだかまり…民間交流で雪解けを 会津民俗研究会・滝沢洋之会長 「会津史談会の方をこの列に来てもらうように誘ったんだけど、何回も誘ったんだけども、結局はやっぱり来れなかったのね。いろんなわだかまりがあってね、まだね」一部とはいえ、萩への強い反感が残っているようです。参加者「うちのおじいちゃんあたりが、萩って聞いただけであまり良くない印象をもってまして。われわれ会津の人間が萩に来れば、萩の人々から抵抗があるのかなという印象はありました」別の参加者「民間レベルでこうやってお互いに行ったり来たりする機会が増えればいいなと思います」 会津で見聞広めた松陰の松下村塾へ 一行は、松下村塾にも足を運びました。幕末の争いになる前、吉田松陰は東北地方を訪れ、会津藩で見聞を広めていました。世界遺産で、ふだんは立ち入ることのできない講義室に上がって話を聞き、一行は松陰に親しみを感じたようでした。長州と会津の友好を考える会・山本代表 「交流を考えて来られたという、初めての方もたくさんおられた。大変うれしいです」山本さんは、30年以上前に会津との関係を知りました。当時、友好都市の話が持ち上がったものの、会津若松市から受け入れられなかったと聞いたのです。両市の関係をもっと未来志向にと、70回は現地を訪れ、交流を重ねたといいます。滝沢さんのように、共感してくれる会津の仲間もできました。 雪解けに向けて一歩ずつ 山本代表 「過去から現在までの感情をそのままもって、変えてくれなんて言わない。だけど、将来に向けて話そうと言うだけで、握手してくれるのが見たいね」今回のツアーは小さくても着実な一歩になりました。両市の雪解けに向け、山本さんの活動は続きます。 詳細は NEWS DIG でも!↓ https://newsdig.tbs.co.jp/articles/ty...

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