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原発事故から“時が止まった町”大越健介が見た「被災地の現実」(2022年3月10日) 2 года назад


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原発事故から“時が止まった町”大越健介が見た「被災地の現実」(2022年3月10日)

福島第一原発を抱える双葉町。四季折々の自然に恵まれ、夏は海水浴、冬になると、伝統の『ダルマ市』が開かれました。そんな時の流れを止めたのが、原発事故です。 町役場に、あの日の記録が残っていました。 双葉町職員・橋本靖治さん:「福島第一原発からの通報連絡を職員がすべて書きとめた。(Q.いつまでの記録になるのか)3月12日の朝まで」 避難直前まで書き込まれた原発の状況。当時は、町の職員でさえも“安全神話”を疑いませんでした。 双葉町職員・橋本靖治さん:「3月12日の時点では、原発事故が起きるとは思ってなかった。念のため町を離れるという感覚。遅くても2、3日後には戻ってこられるだろう」 しかし、原発事故後、町のほぼ全域が『帰還困難区域』に指定され、先の見えない避難生活が始まりました。 あれから11年。止まった時が動き出そうとしています。駅の周辺など町の一部について、国は『復興再生拠点』として除染を進め、避難指示を解除する方針を決めました。住宅や役場も建設される予定で、町は、6月の住民帰還の開始を目指しています。 今年1月、各地に分かれて暮らす双葉町の住民が、避難先の一つ、福島県いわき市に集まりました。そこで開かれたのは、伝統の『双葉ダルマ市』です。『来年こそは、ふるさとでダルマ市を』。希望が芽生える一方で、厳しい現実もありました。 茨城県に避難している斉藤宗一さん(72)。原発事故の後、各地の避難所や仮設住宅など、9カ所を転々としてきました。双葉町にある自宅は、原発からわずか2キロ。避難指示が解除される見通しはありません。 斉藤宗一さん:「(Q.双葉の自宅を手放そうという考えは)生きているうちは手放したくない。みんなの苦労が詰まった家だから、ただ単にあきらめるというのも」 斉藤さんは、震災の7年前、農協を退職し、家族でホウレンソウ栽培を始めました。子どもたちと1年がかりで手作りのビニールハウスを建てました。 斉藤宗一さん:「作りたいけども、作れない双葉では。やりたくてもできないのが現状。“避難”と言うと聞こえがいいけど、追い出されたのが一番悔しい」 住民でも、許可がなければ、立ち入ることさえできない『帰還困難区域』。福島県内の各地から、除染の際に出た土が、毎日、運び込まれてきます。こうした“汚染土”と呼ばれる土が、至る所に積み上げられています。 最終処分先が決まるまでの間、大量の土を保管する中間貯蔵施設。こうした施設のために、家や土地を手放した住民は、決して少なくはありません。町の職員・橋本さんの自宅も、その一つです。 原発事故によって奪われた、ふるさとでの暮らし。あきらめきれない気持ちと、先の見えない現実の狭間で揺れながら、住民は、中間貯蔵施設を受け入れるかどうか、厳しい決断を迫られてきました。 双葉町職員・橋本靖治さん:「犠牲心をもって土地を手放したり、建物を手放したりしている。自分たちが受け入れなければ、双葉町の復興も、福島の復興、全国の復興が進まない。私は同情ではなく、共感してほしい。どんな苦渋の決断で、これだけの施設を受け入れる。受け入れることによって、ふるさとを離れなければならない。先祖伝来、自分で買った土地・屋敷を手放さなくてはいけない。個人個人の思いに共感していただけると私はありがたい」 [テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp

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