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福田赳夫総理の組閣 40代の石原慎太郎氏、海部俊樹氏を起用「老壮青体制で」(1976年、1977年)【映像記録 news archive】 2 года назад


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福田赳夫総理の組閣 40代の石原慎太郎氏、海部俊樹氏を起用「老壮青体制で」(1976年、1977年)【映像記録 news archive】

福田赳夫総理の組閣は以前公開しましたが、ユーザーさまからのご指摘で、一部不正確なところがあったことが分かりました。 動画を増やして、改訂版を公開いたします。 ======== 1976年12月23日、自由民主党の総裁に決まった福田赳夫氏が記者会見に臨みます。 福田赳夫氏:「やはり人事が非常に大事だと思うんですがね。   人事の仕組みはなるべく老壮青ね。   老壮青体制これを取り入れていきたいと思うんです。   やっぱり重要な決定にも若い人も参加しておると」  「率直に申し上げまして、この春以来、自由民主党の中がごたごたしておった。   これは率直に言ってその通りだと思うんです。   この際、ああいう過去のいきさつを全部ふっきらなきゃいかん。   そこではじめて挙党体制。全党体制をつくりあげなきゃいかん」 翌日の12月24日。 三木武夫氏:「それではみなさん、さようなら」 衆院選で自民党が大敗した責任を取り辞任した、三木総理が官邸を去ります。  臨時国会が開かれます。 保利茂議長:「日程第7 内閣総理大臣の指名を行います」 衆議院で自民党の議席が過半数を下回っている中での総理大臣指名選挙です。 河野洋平氏、西岡武夫氏は新自由クラブを半年前に立ち上げたばかりです。 名前が読み上げられ、時計回りに壇上に登っていきます。 三木氏は、当時は総理大臣指名選挙でも使われていた白い木札の名刺を持っています。 福田氏も自ら投票します。 票の集計です。この時の衆議院議員の定数は511人。 保利議長:「投票の結果を事務総長より報告いたさせます」 事務総長:「256点、福田赳夫くん」 過半数をわずか1票上回る得票でした。 保利議長:「右の結果、福田赳夫君を衆議院規則第18条第2項により、    本院において内閣総理大臣に指名することに決しました」 この時、71歳でした。 総理官邸に新閣僚が呼ばれます。 この時、すでに午後6時近くでした。 法務大臣に決まった、福田一氏です。 後ろ姿は鳩山威一郎氏でしょうか。 坊 秀男氏は大蔵大臣に。 後に総理になる海部俊樹氏は文部大臣で初入閣。 ミッチーの愛称で知られた渡辺美智雄氏は厚生大臣に。 後の総理、鈴木善幸氏。この時は農林大臣です。 田中竜夫氏は通産大臣に決まりした。 田村元氏は運輸大臣です。 郵政大臣には小宮山重四郎氏。 石田博英氏は運輸大臣から労働大臣に変わりました。 長谷川四郎氏は建設大臣です。 小川平治氏は自治大臣や北海道開発庁長官などを兼務します。 園田直氏は官房長官。 藤田正明氏は総理府総務長官です。 西村英一氏は行政管理庁長官に。 防衛庁長官に決まった三原朝雄氏は笑顔です。 倉成正氏は、田中内閣で29日だけ務めた経済企画庁長官に返り咲き。 後の総理、宇野宗佑氏は科学技術庁長官に決まりました。 芥川賞作家で後の東京都知事、石原慎太郎氏は環境庁長官で初入閣。 田沢吉郎氏は国土庁長官に就任します。 午後9時すぎから、皇居・宮殿松の間で行われた総理大臣の親任式と新閣僚の認証官任命式です。 入場した福田新総理が、昭和天皇の前に出て一礼。 陛下から任命のお言葉が掛けられ、任命書を伝達するのは前内閣総理大臣です。 外務大臣に就任する鳩山威一郎氏。 父・一郎氏、長男の由紀夫氏はともに総理大臣になりました。 環境庁長官に任命された石原慎太郎氏は44歳でした。 福田総理が皇居から官邸に戻ってきました。 夜も更けてからの、初閣議。右端は53歳の渡辺厚生大臣。 閣僚応接室では若い議員が総理から遠い席に座っています。 玄関前の階段での記念撮影です。 50代の鳩山外務大臣と40代の石原環境庁長官。 総理の両隣は70代、明治生まれの福田一法務大臣と西村英一行政管理庁長官でした。 翌年、1977年11月28日の福田邸。 福田総理:Q人事の構想は固まったか?     「大体私の考え方大体決まりましてね、昼頃、新四役と・・・」    Qけさの新聞に出ていた通りで大体決まり?    「ん? 新聞はなかなか、色々奇抜なことを書くからね。四役とよく相談します」 内閣改造です。 総理官邸ではメディアの取材拠点となるいわゆる“テント村”の設営が進んでいます。 改造前の閣僚の辞表をとりまとめる臨時閣議が開かれます。 鳩山威一郎外務大臣が入閣したのは、結局この一度きりでした。 自民党の幹事長、大平正芳氏です。 中曽根康弘が総務会長に、 江崎真澄政調会長は総務会長からスライドしました。 党三役が官邸入りした後、閣僚が呼ばれます。 法務大臣に決まった瀬戸山三男氏。 園田直氏は官房長官から外務大臣になりました。 新人の村山達雄氏は大蔵大臣就任を聞いていなかったと話します。 砂田重民氏は文部大臣に就任します。 小沢辰雄氏は厚生大臣に。 中川一郎氏は農林大臣、次の年からは農林水産大臣になります。 三木派の重鎮、河本敏夫氏は1年ぶりに通商産業大臣に返り咲きました。 福永健司氏は運輸大臣。 服部安司氏は郵政大臣になります。 労働大臣には藤井勝志氏です。「がんばります。雇用の問題」 桜内義雄氏は建設大臣兼国土庁長官。 加藤武徳氏は自治大臣、国家公安委員長、北海道開発庁長官を兼務。 官房長官には安倍晋太郎氏。安倍晋三元総理の父親です。 後ろ姿は総理府総務長官になる稲村佐近四郎氏のようです。 行政管理庁長官に決まった荒舩清十郎氏。 金丸信氏は防衛庁長官に。 のちの総理、経済通の宮澤喜一氏がまた経済企画庁長官を務めます。 ヘリコプターで到着したのは科学技術庁長官になる熊谷太三郎氏です。 ゼネコン・熊谷組の2代目社長でした。 山田久就氏は環境庁長官に。 元アメリカ大使の牛場信彦氏が対外経済担当大臣に民間から起用されました。 モーニングに着替えた新閣僚が次々と階段から降りてきます。 もう、新内閣の記念写真の撮影でしょうか。 カメラが壁を作っています。が・・・肝心な福田総理の姿がありません。 左から砂田氏、加藤氏、小沢氏、金丸氏・・・最前列にやはり総理の姿はありません。 しばらく、整列して撮影に応じていましたが、玄関から官邸の外へ出てしまいました。 牛場氏が車に乗り込みます。皇居での認証式に向かうようです。 外はまだ少し日が残っていて、前の年より早いペースで組閣が進行しています。 再び官邸の階段です。今度は福田総理が真ん中から降りてきます。 今度こそ新閣僚の記念撮影です。 貿易黒字の是正や景気回復を課題として、経済閣僚を重視した布陣でした。 後ろの左端に森喜朗官房副長官、その右、 稲村総理府総務長官は後に撚糸工連事件で収賄の有罪判決が確定しました。 桜内義雄建設大臣は、後に衆議院議長になります。 河本敏夫通産大臣は、3年後に三木派の解散を受けて、河本派を立ち上げます。 園田直外務大臣は8カ月半後に日中平和友好条約に署名します。 福田総理: Qご感想は  「あんた方(記者)に気の毒だと思ってさ、あんまり早く済んで。   まあこれから家帰って、布団つっかぶらなきゃいかんわ」  「派閥均衡っていう考え方はなく、適材適所。       ひとつずつ点検してくださいよ。    とにかく総力体制。時局認識。       それから第2は従って、総力内閣だと。   危機突破・総力内閣。第3は陣頭指揮」 福田総理は翌年11月、自民党総裁選の予備選で敗れ、12月に退陣しました。 [テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp

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