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3分でわかる樫尾俊雄【カシオ計算機の創業者の一人】 1 год назад


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3分でわかる樫尾俊雄【カシオ計算機の創業者の一人】

昭和の発明家であり、カシオ計算機の創業者の一人として知られる樫尾俊雄を紹介します。 *** こんにちは。人からわかる3分技術史。 今日は樫尾俊雄について勉強していきましょう。 樫尾俊雄。1925年生まれ。昭和の発明家であり、カシオ計算機の創業者の一人として知られます。 俊雄は、大正13年に、東京の京橋で生まれました。 樫尾家は高知県の貧しい農家でしたが、関東大震災を機に東京に移り、父親の茂は大工や左官をして働きました。俊雄の8歳年上の兄には忠雄、弟には和雄と幸雄がおり、彼らはのちに樫尾四兄弟として知られるようになります。 俊雄はおとなしい性格でしたが、幼いころにトーマス・エジソンの伝記を読んだことから影響を受け、発明家を志したと言われます。 1940年、15歳の俊雄は、東京電機学校(現・東京電機大学)を卒業し、逓信省に入省します。逓信省では電気通信工務局に勤め、モールス通信の研究や、電話交換機などの検査を行いました。 そして戦後になると、兄の忠雄は樫尾製作所を創業します。そこで俊雄も逓信省を辞め、樫尾製作所に合流しました。 樫尾製作所では、下請けの依頼を受けて、顕微鏡などの部品の製造を行なっていました。そんななか俊雄は、自社開発の製品を売り出すことを提案します。そして俊雄が考案し、最初のヒット商品となったのが「指輪パイプ」です。当時は貴重品であったタバコを、片手間で、残さず吸うことのできるアイデア商品でした。 そして1949年、銀座松坂屋で開催された第1回ビジネスシヨウで、欧米製の数々の機械式計算機を目撃。間も無くして俊雄は忠雄に提案し、樫尾の計算機開発がはじまりました。 俊雄は、当時主流であった歯車を使った機械式計算機に対し、電気で計算を行う電気式を試みました。 そして1957年に完成したのが、「カシオ14-A型」です。14-Aは世界最初の一般販売された純電気式小型計算機となりました。また、従来の入力装置は桁ごとに0から9を入力するフルキーが主流でしたが、14-Aでは全ての桁を同じキーで入力できるテンキーを採用。現在ではほとんどの電卓にテンキーが使われています。 14-Aを販売するため樫尾四兄弟は「カシオ計算機」を創業し、俊雄は技術部長に就任。14-Aは大きな成功を収めました。 その後、最初の個人用電卓であるカシオミニなど画期的な製品を開発。カシオは広く知られるようになりました。 俊雄は、2012年に87歳で亡くなります。現在でも、カシオ計算機の創業者の一人として、また、昭和を代表する電気技術者の一人として知られています。 以上!

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