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【罪の意識を感じる時に思ふこと】 6 лет назад


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【罪の意識を感じる時に思ふこと】

【罪の意識を感じる時に思ふこと】 「大車を千里に服(つ)けて、杖を喫(か)んでたちまちに斃(たお)れ、重負を万里に駄(の)せて、坂に蹶(つま)づいて殞(いん)を致す」(理趣経開題)。 大車・重負は、人生の重い持ち物のこと。杖・坂は人生の歩み。斃れ・殞を致すは死を意味する。 死後、地獄に落ちるより、今生きている人生に重い苦しみとおそれがある。 先日、NHKの「ブラタモリ」という番組で三週にわたって高野山が紹介されました。 初回は、高野山の麓にある慈尊院から高野山の根本大塔までつづく町石道が紹介されていました。 町石道とは、一町(約110メートル)ごとに町石と呼ばれる高さ約3メートルの五輪塔形の石柱が道中に百八十基建てられている高野山への表参道であります。 番組の中で高野山大学の木下浩良先生が「昔の人は罪の意識が深かったと思います。(罪を抱えたままでは)成仏できない。極楽浄土にいけない。だから一つずつ町石を拝みながら、少しずつ自分の罪や汚れが減っていくと考えていたのです。」とおっしゃっておられました。 昔の方は、滅罪(罪を滅する)の為に、厳しい高野山までの道のりを歩かれていたのです。 先生は「昔の方は、生きていくこと自体、いろんな罪を重ねていくことだと考えていた」ともおっしゃっておられました。 このようなお話を聞いて、昔と現代の大きな違い、それはこの「生きていくことの罪の意識」ではないかと思いました。 自分が生きていく為には、他の命をいただかなければいけません。 そして、嘘をついたり、悪口を吐いたり、知らないうちに人の心を傷つけたり、考えてみれば、多くの罪を日々重ねています。 しかし、その罪を認識する度合いというのは、昔と今とでは明らかに違うと思うのです。 なぜか。昔、自然災害や疫病、貧困に苦しんだ時、人は神仏にすがってきたと思います。 原因がわからず、防ぐ方法も見つからない時、こんなに悪いことが続くのは、自分の行いのせいではないか、と思ったのではないでしょうか。 それに対して、今は、災害が起きても、病気になっても、誰も自分のせいだとは思いません。 予測ができないこと、防げないこと、悪いことが次々に起きても、それは、自分ではない何かの原因があって、結果があると思っているからです。 因果応報は、お釈迦様の説いた真理でありますが、「何事にも原因があり、結果がある」という合理だけに目が向いてしまうと、神仏は、遥か遠くに感じ、心に安寧をもたらしてくれません。 しかし、本当にそうでしょうか。目の前に、つらい現実がある時、人はどうすれば、その事実を受け止め、救われることができるのでしょうか。 「バチが当たる」という言葉があります。 誰も見ていないところでも、悪い行いをすれば、いつかまわりまわって悪い結果がもたらされるという意味ですが、目に見えるものしか信じることのできない人には、この言葉は通じません。 実際に最近のこどもたちに「バチが当たる」と言っても通じなくなってきているという話を聞いたことがあります。 それは、現代の日本社会の生活が変化し、地域のつながりが希薄化し、地域の伝統文化である祭りなどを受け継ぐことが難しくなってきたことが大きな原因の一つのように思います。 祭りとは神仏へ捧げる行事です。 その祭りを通して、人間を超越した存在、神や仏、鬼や地獄などに対する畏敬の念が自然とこどもたちにも身についていったのではないでしょうか。 たとえば、「なまはげ」や「獅子舞」などを、ご存知の方も多いと思います。 実際に、今もそうした祭が息づいている地域では、子どもたちが、本気で、「なまはげ」や「獅子」をこわがります。 この畏れが、「ばれなきゃいい」ではなく、「ばれなくても、悪いことはしない」という気持ちにつながります。 人の目はごまかせても、神仏はそうはいかないのだ、ということでしょう。 子どもの頃に育まれたこのような感覚は、大人になっても消えないのではないでしょうか。それは、信仰心とも呼べるものです。 子どもだけでなく、人が生きていく時、仏様が見ている、という感覚は大事なことのように思います。 先ほどのように、バチがあたるから悪いことをしなくなる、ということもあるでしょうし、自分の善い行いを誰に認めてもらえなくても、仏様はみて下さっているという気持ちや、いつも仏さまが見守ってくださっているのだと言う安心感にもつながるからです。 「慈眼視衆生」本当に、仏さまは、見守ってくださっています。見守ってくださっているという感覚をもてた時、つらい現実を受け止め、乗り越える勇気もいただけるのではないでしょうか。 ************************************* ■この法話を「Spotify」でもご視聴頂けます。 https://podcasters.spotify.com/pod/sh... 【Spotifyとは】 Spotifyとは、インターネット上にある音楽・音声ライブラリを楽しめるストリーミングサービスです。世界中のクリエイターによる数千万もの音楽や音声ポッドキャストを無料で楽しめる配信サービスです。「小池陽人の随想録」は「Spotify」でも音声配信をしています。 ************************************* 【毎月、須磨寺にて法話をさせて頂いております】 毎月18日の10時からの護摩祈祷と写経会、20日と21日は11時半から奥の院にて、そして、21日は14時から護摩祈祷をさせて頂き、法話をさせて頂いております。 【須磨寺オフィシャルサイト】 http://www.sumadera.or.jp 【須磨寺 不動護摩供のご紹介】    • 須磨寺 不動護摩供のご紹介   【須磨寺「須磨の火祭り ~柴燈大護摩供 火生三昧火渡り修行~」】    • 【須磨の火祭り ~柴燈大護摩供 火生三昧火渡り修行~】大本山 須磨寺   【須磨寺:四万六千日 みあかり観音 灯明会】    • 須磨寺:四万六千日 みあかり観音 灯明会   【須磨寺音楽法要祭「夜音2017」】    • 【須磨夜音2017 Official Movie ~真言宗と天台宗 平安の...   【経木供養所「八角堂」落慶法要:大本山 須磨寺】    • 経木供養所「八角堂」落慶法要:大本山 須磨寺   ■楽曲提供:小馬崎達也 Official site:http://www.mt8.ne.jp/~pangaea/ Youtube Channnel:   / pangaeamusicfarm  

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